37年ぶりの松山行きでしたが、37年前は、というと、親の転勤でほんの数年住んでいた広島呉からフェリーで行き、帰りのフェリーまでのたったの2時間、観光する時間もなく、街中にでたのは数十分だけで、また船に揺られて帰っただけの何しに行ったのかすらわからない短い滞在でした。
松山に到着すると、雨足がどんどん強くなり、その後のニュースで、対岸の広島、岡山も悪天候の被害が拡大してるのを知りました。愛媛も水害のため電車はストップ。各地では安否確認もままならぬ状況とのこと。雨が止みますように、と願うことしかできません。37年前当時、呉⇔広島通学していたのですが、当時から、とくに呉線の小屋浦、天応あたりは崖崩れや水没で線路が埋まったりが多くて、学校行って、いつ家に帰れるかわからない状態は年に何回も。引っ越したばかりで全く知らない土地だし、振り替え輸送のバスもどこからどこまでの運行になるのかもわからない。 携帯電話など誰も持ってないころでしたから、公衆電話は長蛇の列。十円玉は使い切らないよういつも気を付け、雨ばかり続くと身構えながら通学でした。 一度、最寄駅前が水没して、膝上まで水がきて駅前からじゃぶじゃぶと15分ほども泥水の中を泳ぐようにして家に帰ったことがありました。かばんは無事でしたが、制服も靴もなにもかもどろどろのびしゃびしゃぐしょぬれ。翌日も通学なので急いで洗って湿ったままの制服を着て濡れた靴を履いて翌朝出かけたのを思いだします。今回のニュースで呉の本通り商店街が水没してごうごうと川のように水が流れているのを見て、呉本通りに住んでいた通学の友のことを思いだしました。