heiwa

広島市平和大通りにて

佐村河内守氏のゴーストライターについて、今まで関係者が気が付かなかったとはとても思えない。シナリオにぴったりの人物がいたのでこれは、と目を付けたのではなかったのか?? 交響曲を書くこと等、そう簡単にできることでない。音楽を専門に学ぶ方達すべてをコケにしたと言いたくもなる問題。平和問題を大きく利用したのも大きな問題である。交響曲にいつのまにかついていた題名 hiroshima である。

このニュースを読んだとき私の通った音高の教師たちのことが蘇えった。私は高校時代、突然の親の転勤で行くはずだった高校は断念し泣く泣く親についていき広島に住んでいた。高校時代の恩師たちの中には、直接の原爆被害者が何人かいた。中でも あの日原爆ドームに居たクラスメート全員をなくし自分だけ生き残った先生は授業中に嗚咽がとまらなくなり、授業が中断されてしまうことも度々あった。 広島の声、を私は毎日のように聞いていた。仏教のお坊さんで先生という方が多く、寺でしか聞けない平和への祈りの声も聞かされた。
授業でなにを教わったかはすっかり忘れてしまったが、今思うと、平和とは何かを考えさせられた広島でしか得られなかった、貴重な体験だったと思う。大陸へ動員中国で終戦、シベリアに抑留され何年も経ってやっと帰ってきたがその体と心に残ったすさまじいまでの傷。そういう先生がたには中学の時も出会った。
私の親世代ともうすこし上の年齢の方々は本当に戦争では青春時代翻弄され自分の思うように等なっていない。
私の身内にも原爆投下の日、広島駅前で被爆した方がいる。
何十年経っても消えない火傷のあとを隠すように長袖のシャツで過ごす夏も何十回。そういう目に遭ったかたはそうそうは口にしない。
ひとたび、広島から離れてしまうと、平和 この言葉の響き方は違ってしまう。

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